■まだ穴が開いたままの感想を埋めてないのですが、総集編も見終わって、この気持ちを忘れないうちに書いておこうと、先回りでまとめ感想です。
■いやー、「清盛」終わっちゃいましたね。
最終回は総集編か!?並みの駆け足でしたが、でもタイトルが「平清盛」ですから、それでよかったんじゃないかなーと。時間かけてじっくりやるのは、「義経」でもううやってくれてるので。(そう思うと、「義経」って、義経と同じくらいに平家一門を丁寧に描いてくれてたんだよなーと改めて思う)
なんかいろんな人にケチをつけられたり、逆に「神」という言葉のデフレが起こるようなもてはやされ方をしたりしてましたが、全部ネットとかメディアの話。
うちのおかんとか職場の反応みてると、
「今年の大河ドラマが清盛なのは知ってるんだけど、あまり好きな役者さん出てないし、話めんどくさそうだしで、見てない」
って感じでした。それが実際のところなのでしょう。
■先によくない話から書きますと、私、このドラマのツイッターとかのネットでの騒ぎがものすごく好きじゃなくて、あんまりにも好きじゃないので、ブログに感想を書くこともなんかネットでのヨイショ祭りに加担してるような気持ちになっちゃって、書くモチベーションをなくしてました。
冬コミで「楽しく読んでたのに、書かなくなっちゃって残念」って言われて、読んでくれていた人の存在をちゃんと感じる責任感がなかったと反省しました。ごめんなさい。
なにがそんなにいやだったかというと、
ツイッターで、製作側が「実はあそこはこういうことでして」といちいち説明することが、
「みてりゃわかるだろ」レベルに及び始めたとき
でした。
歴史的な背景を解説するのとかは、面白い試みだなって思ってたんですけど。
とくに心が冷えたのが、
・南都を焼亡させた重衡が笑顔で清盛のところに報告に来た場面について、「あのときの周囲は、重衡が宗盛のときのように清盛にどつかれるって思って『あちゃー』って顔をしてるんです」とツイートしてるのが流れてきたとき
・羅刹が最終回に登場したのを、プロデューサーが「羅刹です」って解説してたとき
でした。特に前者は怒りすら覚えた。ありえないわ…。
例えば私が、自分の漫画について
「この2コマ目は笑顔ですが、これは笑顔を浮かべているけど、一方で自嘲の感情も沸いているという、そういう感情の揺れを表す芝居ともいえます」とかあとがきに解説してたら、ダメ作者すぎでしょう。
読者が「あの笑顔にすごい葛藤を感じちゃって」と感想を書くのはいいけど、作り手が自分でやっちゃだめでしょう。しかも「平清盛」という作品は、「物語で見せる」ことを大切にして作られてたわけだから。
なんで自分たちで築き上げてるものを、自分で潰すんだろうと、そこはほんとに不思議でした。
通常はそれをたしなめるのがリーダーなんだろうけど、この作品はリーダーが率先してやってるし。
実際にイベントでみてたときはそんなに違和感とか感じなかったのになぁ。
清盛とはどういう人でしたか?とインタビューされて、プロデューサーが「ブレない人」って答えてたときも、「えっ、そうだっけ?」って思ったし。
作品はブレない作りだけど、清盛はものすごくブレながら進んでいく人で、そのブレの清さも醜さも含めて生々しく描ききろうとしたところがこの作品の魅力だと思ってた私には、意外なコメントだったんですよ。
「ブレる」という言葉の意味が違ったのかもしれないので、ここはなんとも言えないのですが。
■私はツイッターを使って歴史的背景を解説するのはチャレンジとしてアリだと思いました。
自主的に「清盛いいね!」を発信しているファンを囲い込む活動も、私は逆効果だと思ったけど(ある一部の層だけをファンとして大事にします、という姿勢に見えるから。)、でも、視聴率という形で実績が残せないときに、
「しかしこういう試みに成功しました」という実績を作っておくのは会社員として必要なんだろうと思うので、納得しました。
しかし、あの物語をベラベラしゃべるのだけはどうしても違和感が消えなかったわ…。
■なんか外周への批判になってしまいました。
そうではなく中身について私が
(あくまでも私の好みとして)あまり…と思ったのは、清盛壮年期のわかりづらさですかねー。
清盛が自分の内側を見せなくなって、さらに彼も周りを見なくなった結果、周りの行動との乖離が起きていくあたり。あのへんはすごくわかりづらかった。
重盛が死んだあたりで、それまでを見返して、「ああ、そういう風に描きたかったのかなー?」って思ったんだけど、毎回の演出担当の人に脚本の意図は伝わってたんだろうか。そこはちょっと違和感ありました。
もっと清盛が見たいのに、重盛とか時忠とかの側からばかりで、「ああ、ちょっとどいて、清盛が今何してるかを見せて!」みたいな(笑)。
清盛がどんどん浮いてくように、視聴者側からも清盛が覗き込めないようにしようとしたのかもしれないんだけど、しかし8時台のドラマでそれはやりすぎだよなぁと。作り手には一連の物語でも、みてるほうには週末の1回1回の1時間なのですから。
その「一連の物語として作りこみすぎて、1回1回の山谷がぎくしゃくした」感じは、全編通してのこのドラマの課題のように思います。週間連載なのに、毎週の山谷よりもコミックス化を意識しすぎた、みたいな。
このドラマが「自己満足」と批判される理由がそこであれば、まぁそういう部分はあるんだろうなと思いますよ。そうでない理由だったらよくわからないかもしれないけど。
いや、私お正月に連続で「リーガル・ハイ」ってドラマ見てたんですけど、自己満足ってああいうのじゃないのか!?って私は思いました。毎回の切り口作ってる人のドヤ顔がもろに浮かぶというか。敢えてああいう感じなんだろうけど。
■キャラっぽくてやだとか、その辺は気になりませんね。なじみのない時代を描こうとしたら、人物を特徴づけるか、役者の知名度で認知させるかになります。あえて前者を選ぶ姿勢を、私は支持します。
「漫画のキャラっぽい」みたいな批判はちょいムカつきましたよねー。お前がどんだけ漫画を知ってるんだ!とか思っちゃって(笑)。
■あと、総集編観てて気づいたのですが、
前半にけっこうあった、実験的なアングルとかがなくなっちゃってますね後半は。面白かったのに…そこが残念。
でもそこは、視聴者が「見づらい」と文句をつけた結果だと思うので、仕方ないですね。私も視聴者のひとりなんで、自業自得というか。
と、不満も書いたのですが、何しろ私はこのドラマがめっちゃ好きなので、よかったところをまとめます。
1)松ケンの演技がいい
■演技がダメ、って言う人も多かったけど、ダメっていうばかりでどこがどうダメなのかをちゃんと書いている記事を見つけられなかったんですよね。表情とか、すごいいいですよ。特に好きだったのが、
・清盛が不始末をしでかして(何度目のオイタだったかは忘れた)、清盛自身も自分が下手を打ったと自覚している。断固として清盛を守る姿勢の父親、攻撃する叔父、我が子の責任として受け止めようと必死の継母のギャースカ騒ぎの中での、いたたまれない表情。
・叔父を斬ったうえに、その凄惨さなどどこ吹く風な後白河のパーティーに呼ばれて、「これからは武士の時代だ!」という当初の気持ちを思いっきり折られた清盛の表情。
・兎丸と港の工事の件でもめてるとき、自分を人柱にしてくれと言い出した幼馴染に対する清盛の表情。
このへん。どれも、どういう気持ちなのかすごいわかる。
最後のは、感想に書いてたとおり、清盛の表情も良かったんだけど、盛国の表情も良かった。清盛が「そんなことできるわけないだろ」って気持ちなのもわかるし、でも盛国が「清盛が『よく言った!』って言い出すんじゃないかという不安を捨てきれない」のもわかった。
■やっぱり若い役者さんはいいですねー。それぞれの伸び幅があって、そこにも感動します。
次の「八重の桜」の女優さんも若いから、どんな成長があるか楽しみ。
■清盛以外の役者さんも良かったですね。ぱっと思い浮かべるのは、池禅尼(あの人物造形は深い…今までになかった池禅尼だと思う)とか、時忠とか、鳥羽・たまこ・得子とか、後白河も篤姫の頃とは全然違ってた!
残念賞は時子姉妹ですかねー。演技達者な人が多かったから、余計に深みのなさが目立った印象でした。
でも、じゃあ誰に代えようかと言われると思いつかないので、全体のバランスとしては絶妙だったんだろうな。
2)平安末期の混沌とした感じがいい
■前にも書きましたが、製作側が言ってた「リアル」って、史実どおりにしますって意味じゃなくて、キレイなおべべ着て花鳥風月でみんな優雅でおっとり…ではない生々しい世界を描きたいって意味だったと思うのです。
で、それは十分描かれたと思います。
■中盤までの、豪華な登場人物がどんどん入れ替わってくスピード感も、まさに混迷の時代って感じで面白かった! ドラマとしては登場人物がコロコロ替わって行くのは弱点なのかもしれないけど、この時代が好きだと、ワクワクします。
■好きな場面で選ぶと…私の場合はどこかなー。誰かの生死に関わる場面は当然として、あとは
・荷物に忍び込んでた信西と、叔父さんの言葉にしょげてる清盛との会話
・清盛と明子の出会いから結婚
・崇徳に頼長が接近するところ
・滋子に結婚させるという話で、平家一門がきゃぴきゃぴするところ
・闇討未遂のあとの、為義と義朝の会話
とかかなー。
3)清盛のキャラがいい
■彼の性格をどうにも好きになれない人はいると思うのですが、私はすごい感動した。
いろんなことに不満はあるのに実力が追いつかない少年期、選択と集中を迫られる青年期、自分の感傷を押し込める術を学んでテクニックに走る壮年期、ふと自分を見失う老境。
製作者は「従来の悪者ではないイメージで清盛を描きます」と最初に宣言してたと思うのですが、私、そのときに、
「安易に『実はいい人』『本当は深い配慮があってこうしていました』みたいなの、やだなー」って思ってたんです。
でも、そんな心配は杞憂でしたね。善悪の彼岸で、成功もミスもやりながら、ただがむしゃらに一生懸命生きる人として清盛を描ききって、それを見せてもらえたことに感謝します。
■最後の西行との会話とか泣けたもん。もっとやりたいことがあるのに!ってダダこねる(笑)清盛に、みんなそうだったんだって諭す姿が。思えばこのドラマ、みんな必死にジタバタして、答えが出ないままに去っていかざるを得ない人が多かった。このドラマの後白河が悲しいのは、みんながジタバタしている姿を冷笑することでしか自分を保てなかったから。
清盛の姿こそが美しい人生だ、と、「美しく生きたいから出家する」と言っていた西行が言ったときに、このドラマのメッセージだと涙がこぼれました。
■清盛以外でも、人物にちょこっとだけ「表に見えてる、このドラマの役どころだけではない面」を見せてくれるじゃないですか。そこも平家物語ファンにはすごく嬉しかった!
具体的には、以仁王を亡くしたあとの八条院のカットとか、忠通が「こうなったら摂関家を絶やさないことが自分の誇りだ」って吐露するところとか。
何よりも良かったのが、後白河院ですね。彼はとらえどころがないから、「とらえどころのない人です」って描かれ方をすることが多いように思うんです。「義経」のときとかそうですよね。
でも、今回はもう一歩踏み込んで、「蚊帳の外でいたくない、自分も時代の当事者になりたいと思いながらも、結局踏み出してもみくちゃになる道を選択しない」人として描いて、後白河自身がそういう自分の浅さに傷ついてることも描いてました。解釈のひとつとして、この後白河は面白いし、心に残る登場人物です。
■登場人物といえば。このドラマで気づいた特色は、清盛の弟たちとか、盛国とかの役者さんの使い方。けっこう知名度高い役者さんなのに、背景のように使っているときが多いですよね。人物紹介にちゃんと写真つきで紹介されて、名のある人を使ってるのだから、何回か見せ場があるのかと思いきや、そうでもなくて。
でも、最後に海の都に皆が集結してるシーンを見たときに、絶対彼らが必要だと感じたんですよ。こういう存在感の作り方もあるのかーと、ちょっと面白かった。
えっとえっと、他にも書きたいことがあったような気もするんだけど、あまり長々書いてもよくないので、このへんにします。
■平家物語を読んで、諸行無常の空しさではなく、諸行無常の中でも最後までうろうろじたばたしながら、熟考する時間を与えられない中で、家族だったり仲間だったり誇りだったりをとっさに選んで消えていく、その姿に感動した私は、このドラマに対して平家物語を読んだときの感動と同じものを感じました。
■そして、「面白い」という価値観で前に進むこの物語が好きでした。自分がついつい「正しい」とか、ひどいときは「間違っていない」ことだけを善として行動や選択をすることが多いから。
このドラマを批判するときに、細かい歴史的な事実との整合性(王家云々を含めて)とか、歴代の大河との違いでなんたらかんたら言うのは、あまり意味ないんですよね。だって、このドラマのテーマが、自分が信じる「面白い」を目指して進んでいくことを善としてるんだから。
■そんなこんなで、だから、このドラマがほんとに好きです。
八重の次はまた戦国時代だそうですが、どうかどうか、認知度の低い時代にもまた挑戦してほしいし、自分たちが良いと思って作りこんだ作品を、私たち視聴者にぶつける挑戦をやめないでください。
と、感謝とエールを書きつつ、まとめを終わります。