澤田ふじ子 著/中公文庫/1200円/2000年発行
■タイトル「流離の海」で「平家物語」と来れば、西海を漂う平家の姿を想像しちゃいます。
でもこの本には壇ノ浦は出てきません。平家メンバーも殆ど出てきません。
解説でも書かれていますが、流離の海とは、
平家のあの人の前に最後に広がった海であり、ほかならぬこの世のことなのです。
■物語の主人公は、俊寛の娘と、俊寛の侍童・有王。
ふたりとも平家物語にもちょこっと出てきますよね。
この二人のやりとりを平家物語で見て、ちょぴっとでも「有王がこのお姫様をちょっと気になってたりすると、少女漫画的にステキ」とか思っちゃった方にオススメ。
宮尾登美子『クレオパトラ』を読んで、「どうしてクレオパトラはあの親衛隊長とくっつかんのだー!」と思ったあなたなら、かなりこの話はお好きなはずです。
それは私だ。
■零落のなかでも誇りを忘れまいとする姫君。
ほのかに想いをよせつつも、自分が悲田院で養われた孤児であることを思い、想いを胸のうちにしまいこんでいる有王。200Pほどその状態が続きます。
そんな二人が接近していく様子のドキドキ感はまさに少女漫画!
■しかし、少女漫画状態がいったん落ち着いたあたりから、少しずつ、下層の人々の貧困の物語が表面に出てきます。
そして、「有王の幼馴染がお仕えする主君」として、見上げるような視点で描かれていた平維盛の姿が、戦の激化とともにだんだん近く見えてくるようになるのです。
■さて。維盛ですが。
この小説の維盛は、マイベスト維盛になるのではないかと思うぐらいにステキです。
この維盛と『波のかたみ』の知盛がいてくれたら、3畳一間でも幸せ。(重衡がカッコイイ小説ってあまり見ないんですよね。一番好きだから厳しい目になってるだけかなぁ。どこかにカッコいい重衡小説ないかしら。)
主人公が平家や源氏じゃなく従者たちの視点だからかな、罪の無い貴公子って雰囲気で、さきほども書きましたが見上げているような視点で、尚更透明感があるというか。
■で、そんな維盛ですが、ご存知のとおり、25過ぎたら連戦連敗で転落人生です。
彼が世の中につまずくたびに主人公達との距離が縮んでいって、心情描写が増え、読者の私にも維盛の心情がだんだん近くなってくるところが、巧い。
敵の目を避け、妻子を探して真っ暗な道を走りながら、ふとかつての栄華を思い出し、次の瞬間絶望する様子とか。思うようにならないことに絶望したってよりも、自分のみみっちさに絶望してるんですよね。維盛はあくまでも脇役なんだけど、彼をこんなに丁寧に見つめてる小説ってあまりない気がします。
■そんな感じでそれまで遠い脇役だった維盛がぐぐーっとフォーカスされてくるんだけど、彼が自分の進むべき道を悟ったとたんに、また維盛は読者からさーっと離れて違うステージにいっちゃうんです。そうして物語は淡々と終幕を迎えます。
■この物語の中で、
「あとは一生をそれらしく終わらせるだけだ」
って台詞が出てきます。決して清々しいわけではなく、でも惨めさに打ちひしがれたわけでもなく、「あとはそれらしく終わればそれでいい」。この欲の無さ加減が、この物語で描かれている人々の姿なのです。そうだよね、あれもこれもやろうとするからしんどくなるんだもんね。と、どこかで共感する私もいる。
■平家物語は、諸行無常、敗者の物語といいつつも、やっぱり「強い」人たちの物語です。
でもこの物語は、「弱い」人たちの物語です。
強い人たちでさえ自分の生き方死に方の狙いを定めかねた激動の世の中で、弱い人たちがどう生きて、どう死ぬのか。何を願うのか。それを描いている物語なんだと私は思ってます。
……で、平家の「弱い人代表」が維盛だったわけですが(涙)。