井上靖著 / 新潮文庫 / 420円 / 改装版2007年発行(初版は1972年発行)
■とらえどころのない平安末期の大天狗・後白河院を4人の人物の視点から照射した短編です。この4人というのがまた通好みというか。
・平信範(『兵範記』作者)
・建春門院中納言(『たまきはる』作者)
・吉田経房(『吉記』作者)
・九条兼実(『玉葉』作者)
の4人です。一番有名なのが兼実さんだなんて、なんてマニアックな選出。
しかし読み始めると、これが絶妙な4人だなーとわかるのです。
■まず、トップバッターの信範さん。
彼が、平家上り調子の頃、ちょうど藤原
基通基実
(ごめんなさい。息子の名前書いちゃってました。修正します。ご指摘ありがとうございました!)が死去した頃に、兼実に対面して昔語りを話して聞かせる…という形式で話が進みます。保元・平治の乱あたりの時期の担当ってわけですね。
彼は院の傍近くにべったり仕えてたわけではないので、あくまでも藤原忠通の家司としての立場で、忠通の話をしてます。忠通が弟である頼長に勝利する過程に、後白河の話が出てくるという形です。
信範さんは立場上、忠通とその血筋万歳・全肯定な発言連発キャラだったので、そのムズ痒さも面白いです。兄である藤原
基通基実が死んじゃって、弟のあなた様もどんなに悲しいでしょう?と語りかけるあたりは、これは空気読めてないのか、キツい皮肉なのかどっちなんだ…と思ったり(^^;)
彼の語りの中に院の姿はほとんど出てこないですが、当初ノーマークだった後白河がひょっこり話の中に出てくる様子は、実際そんな感じだったのかもなと思わせます。
信範の数少ない後白河との接触のなかで、印象に残ってるのは甲高くて邪気のない笑い声と、自信に満ち溢れた信西の横顔を無表情で見つめる目。
信西は結局自死することになるが、その最期まで後白河のあの目に気づかなかったんだろう、と観察者の家に生まれた人間ならではの洞察を述べつつ、彼のパートは終わります。
■次は、建春門院平滋子に仕えた女房、中納言の語り。
この語りの時期は、鹿ケ谷の陰謀が露見し、その後、徳子が安徳天皇を出産した頃です。
彼女もまた院の話をするというより、建春門院の栄華と死を語ります。
これがいっときの栄華であるとわかっていて、まるで自分で幕引きまでしていったようだと語られる建春門院。四季の花々にみなが恐縮するほど慈しみを与えるくせに、ちょっと鼻につくととたんに見向きもしなくなったという後白河院。
建春門院が、あざやかに華やかでいながら、けれどどこかうつろな寂しさを感じさせたのは、それがわかっていたからなのだろうと匂わせつつ、彼女は話を終えます。
最初のパートは兼実が聴き手ですが、ここは誰が聴き手なのかわかりません。
■3番手は、吉田経房。
二心の無い忠勤に励む官僚として評価され、反発心からなのか義侠心からなのか、壇ノ浦後には維盛妻(新大納言)を妻に迎えた人です。
この人は後白河に対して全肯定。院に対して批判的な兼実を嫌っている発言が出てきます。第1部(平信範)とギャップがあって面白い。
後白河に対しての「あっちに靡き、こっちに靡きしている」という批判に対して、そういう批判をする輩は院のご深慮がわかってないんだとキッパリ反論。のらりくらりとしてるという批判に対しても、それは慎重さなんだと反論してます。
けれど、そんな経房も院に対してどこか不安を抱えてます。語りの頃は、ちょうど義経と頼朝の対立が表面化してきた頃。義仲のときとは違って、院はこの二人を争わせるお心はないはずだ、だって院は義経のことは気に入っているのだから…と言いながらも確信を持てないまま、経房の語りは終わります。
この語りが終始ガチガチに硬くって、経房のキャラが出てて面白かった(^^
■4番手は満を持して登場、九条兼実。
彼の語りは、院もすでに亡く、兼実自身も失脚した、その頃です。
まつりごとに関与する望みも絶たれ、虚脱状態ですっかり毒の抜けた兼実が語る口調もまた面白い。
後白河院に批判的だった彼は、ここにきて、自分の院への評価がズレていたことを認めます。院はのらりくらりと態度を変える中途半端な人物などではなかったと。
彼は終始変わっておらず、ただまわりが院を窺いながら態度を変えていただけ。院はそれらの相手にてきとうな返事をしてただけなんだと。
院は敵味方の間をうろうろしてたわけでもない。彼にとっては全員が敵だった。
それが兼実が行き着いた結論でした。
そして、兼実は自分自身に対しても「娘を中宮にしたい、という気持ちがある」限り、院にとっては敵でしかなかったのだろうと認めます。
そんな兼実が、若き日に信範に聞いた昔話のことで、一番よく憶えていたのは信西のくだり。
あれだけ根性据わってる信西が、どうしてあっさり自死したのか。
それは、自分の死を願っているのが、敵方である藤原信頼だけではないことに気づいた、その絶望ゆえだと兼実は語ります。自分が何のために情熱を傾けていたのか、ふいにわからなくなってしまったんだろうと。
誰もがどこかに自分の栄華への野心を持つなか、誰もが院の敵であるなかで、信西だけはちょっと違っていた。でも院は信西をも敵とした。
そう分析しつつ、兼実はこの躁気味でいて鬱屈した王者の追憶を終えます。
■この4人の立場、とくに兼実のこの時期の状況に思いを馳せつつ読むと、味わい深さが増すように思います。
院の実体がなーんにも見えてなかったよ、と全部なくしてしまった時に気づき、正直に告白する兼実はちょっとかわいいっすよ。